メジャーリーグでは大谷選手の二刀流が大人気です。
ベーブ・ルース以来の快挙!という声もあり、凄いなとワクワクしました。
でも本当に2人だけなの?
他にはいないの??
気になって調べたところ、結構たくさんいたことが分かりました!
この記事では、
- 二刀流の定義は?
- MLBの二刀流選手紹介
- ベーブ・ルース以来と言われる理由
- 日本にもいる?
- 他のスポーツにもいる?
など、気になるポイントをまとめました。
先ずは今更ですが、簡単に二刀流の定義から始めます。
そもそも二刀流ってどういうこと?
MLB(メジャーリーグベースボール)における「二刀流」とは、
選手が投手と野手の両方のポジションをこなすこと
です。
つまり、試合出場時には投手として登板したり、野手として守備に就く能力を持っている選手を指します。
MLBでは、現在、または前シーズンに次の条件の両方を満たしている場合、二刀流の資格が得られます。
- 少なくとも20イニングを投げた
- 野手または指名打者として少なくとも20試合に出場し、各試合で少なくとも3打席以上
優れた投球技術と野手としての能力を兼ね備えた二刀流選手は、チームにとって貴重な存在となることが容易に想像されます。
もちろん、二刀流選手は非常に稀な存在で、その能力を持つ選手はごくわずかです。
投手としての負担や練習量が多くなるため、長期的に活躍することは難しいと言われています。
MLBの二刀流選手
調べたところ、MLBやニグロリーグで二刀流として知られている・いた選手が何人かいました!
ニグロリーグとは?
次の引用説明をご覧ください
アメリカの黒人選手の野球リーグ。黒人選手の大リーグ(メジャー・リーグ)への加入は試みられていたが、19世紀の人種差別の壁は厚かった。そこで、黒人だけのチームをつくり白人チームと対戦することを、フランク・トンプソンが1885年に始めた。これが好評で、数多くのチームができたが、リーグにまでは至らなかった。1920年カンザス・シティでニグロ・ナショナル・リーグができ、翌年ニグロ・イースタン・リーグが続いた。そして、1924年にはワールド・シリーズを行った。しかし、これは不況で解散し、南部の各リーグに組み入れられた。その後、1947年ジャッキー・ロビンソンのブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)入団に始まり、サッチェル・ペイジら有力選手が続々と大リーグに入り、ニグロリーグは消滅した。
ニグロリーグ
ここでは特に素晴らしい活躍をした10人の選手をご紹介します。
- ベーブ・ルース(Babe Ruth)
- ショウヘイ・オオタニ(Shohei Ohtani)
- ジョージ・シスラー(George Sisler)
- テッド・ラドクリフ(Ted Radcliffe)
- ブルックス・キーシュニック(Brooks Kieschnick)
- リック・アンキール(Rick Ankiel)
- マイケル・ローレンゼン(Michael Lorenzen)
- ブレット・ローガン(Bullet Rogan)
- マーティン・ディーゴ(Martín Dihigo)
- レオン・デイ(Leon Day)
ひとりずつ見ていきます。
ベーブ・ルース(Babe Ruth)
ルースはMLB史上最も有名な二刀流選手です。
主に野手として活躍し、史上最も偉大な打者の一人とされています。
打撃力は驚異的で、特に通算714本のホームランを放ち、記録を塗り替えました。
シーズン最多ホームラン記録を複数回更新しました。
投手としても素晴らしい才能を持ち、94勝を挙げ、一時期はリーグのエースピッチャーとして活躍しました。
ルースは、二刀流選手としての偉業だけでなく、野球界全体への影響も大きく、スポーツのアイコンとして広く認知されています。
彼の名声と記録は、野球史において不朽のものとなっています。
野球殿堂入り
大谷翔平(Shohei Ohtani)
大谷は現代のMLBで最も注目される二刀流選手です。
2018年にロサンゼルス・エンゼルスでMLBデビューし、投手としての速球と多彩な変化球を持ちながら、同時にパワフルな打撃力も発揮します。
特に2021年には、投手としてエース級のピッチングを見せると同時に、強力な打撃でも活躍し、二刀流選手としての素晴らしい実績を築きました。
2021年にアメリカンリーグMVPを受賞しています。
ジョージ・シスラー(George Sisler)
シスラーは1920年代に活躍した選手で、特に打撃面ではシーズン.400以上の打率を達成したことで知られています。
ヒットを量産、スイングは優雅で、安定した打率と多くの安打を記録しました。
1920年にはシーズン最多安打記録を樹立し、その年のMVP(最優秀選手)にも選ばれました。
また俊足で、多くの盗塁も決めました。
投手としての才能もありましたが、シスラーは主に野手としての能力で評価されました。
一塁手として守備力を発揮し、巧みな守備を披露しました。
野球殿堂入り
テッド・ラドクリフ(Ted Radcliffe)
ラドクリフはニグロリーグで1930年代から1950年代にかけて活躍し、投手としても野手としても優れた成績を残しました。
投手としては速球とカーブを駆使し、打者を圧倒する投球を披露、通算で400勝以上を挙げました。
また、野手としても強力な打撃と優れた守備力を持ち、チームに貢献しました。
特にラドクリフは投手としての名声が高く、強力な球速と卓越した制球力を持つことから「ダブル・デューティ」(Double Duty)というニックネームでも知られてました。
1日にダブルヘッダー(2試合)で投げることができたことから、その名前が付けられました。
ブルックス・キーシュニック(Brooks Kieschnick)
キーシュニックは1990年代から2000年代にかけて活躍し、主に投手としてMLBでプレーしました。
左投げ左打ちの選手で、主にリリーフピッチャーとして起用されました。
その後、キーシュニックは野手としての能力も発揮するため、2003年から2004年までの間にミルウォーキー・ブルワーズで二刀流としてプレーしました。
投手としてリリーフ登板する一方で、外野手や指名打者としても出場したのです。
キーシュニックの打撃力は平均以上であり、時折本塁打や長打を放つことができました。
特に左投手に対して強さを発揮しました。
優秀な大学野球選手に贈られるディック・ハウザー・トロフィーを2回受賞しています
リック・アンキール(Rick Ankiel)
アンキールは2000年にセントルイス・カージナルスでメジャーデビューし、初年度の2000年には16勝を挙げるなど、素晴らしい成績を残しました。
若い頃の彼は非常に有望な左投手であり、速球とカーブを駆使して打者を圧倒するピッチングを展開していました。
しかし、2000年のプレーオフで制球難に悩むようになり、翌年のシーズンでも制球に苦しむようになりました。
その後、投球でコントロールを取り戻すことができず、2001年には野球界から一度引退しました。
アンキールは再起を果たすために野手への転向を決意、2007年、再びメジャーリーグでプレーすることに成功しました。
野手としてのアンキールはパワフルなスイングと強力な打撃を持ち、時折本塁打や長打を放つことができました。
リック・アンキールは投手から野手への転向を果たし、二刀流選手としての成功例として知られています。彼のストーリーは野球界で注目を集め、多くのファンに感動を与えました。
ベーブ・ルース以来初めてシーズン10勝以上を挙げ、キャリア通算50本塁打を記録した選手でもあります。
マイケル・ローレンゼン(Michael Lorenzen)
ローレンゼンは最近の二刀流選手のひとりです。
主に投手として知られており、速球やスライダーなど多彩なピッチングを持ち、リリーフピッチャーとしてチームに貢献してきました。
また、守備力も高く、外野手としても起用されることもあります。
ローレンゼンは野手としての能力も持ち合わせており、打撃力や俊足も兼ね備えています。
時折、代打や外野手として出場し、打席でチームに貢献しています。
ローレンゼンは投手としての能力が主となりますが、野手としての出場も頻繁にあり、二刀流選手としての役割を果たしています。
多様なスキルと貢献は、チームにとって貴重な存在となっています。
ブレット・ローガン(Bullet Rogan)
ローガンの本名はチャールズ・ウィルバー・ローガン(Charles Wilber Rogan)といい、ニグロリーグで活躍した選手です。
ローガンは1917年から1938年まで活躍し、カンザスシティ・モナークス(Kansas City Monarchs)でプレーしました。
投手としても野手としても非常に優れた能力を持ち、その多才さと統率力から「ブレット(Bullet)」という愛称で呼ばれました。
投手としては、速球と変化球を駆使し、驚異的な制球力を持っていて、通算で150勝以上を挙げました。
また、野手としても優れた打撃と俊足を持ち、チームの得点源としても活躍しました。
ローガンはニグロリーグのリーダーシップにも貢献し、カンザスシティ・モナークスのキャプテンとしてチームを牽引しました。
試合の流れを変えるプレーを何度も見せ、リーグでも屈指の選手として尊敬を集めました。
野球殿堂入り
マーティン・ディーゴ(Martín Dihigo)
マルティン・ディーゴ(Martín Dihigo)ことファン・アントニオ・ディイゴ・パドロン(Juan Antonio Dihigo Padrón)は、キューバ出身の野球選手で、ニグロリーグやメキシカンリーグで活躍しました。
ディーゴは1906年にキューバで生まれ、投手としても野手としても卓越した能力を持ちました。
彼は速球とスライダーを駆使する投手として強力なピッチングを展開し、野手としても強力な打撃と優れた守備力を持っていました。
ディーゴはキューバ国内のリーグだけでなく、メキシコ、ドミニカ共和国、アメリカなどの異なるリーグでもプレーしました。
彼はキューバの国民的英雄とされ、キューバ野球界の象徴的な存在となりその多才さと統率力から「カリブの王」と称されました。
ディーゴは二刀流選手としての評価が非常に高く、その多才さと優れた野球センスは野球史において称賛されています。
また野球のスキルだけでなく、リーダーシップや人間性でも優れた存在として尊敬されています。
野球殿堂入り
レオン・デイ(Leon Day)
アメリカのニグロリーグで活躍した野球選手です。彼は投手として主に知られていますが、野手としてもプレーしました。
デイは1930年代から1940年代にかけてニグロリーグで活躍し、優れた投球技術を持っていました。彼の投手としての特徴は、速球とカーブを巧みに使い分けることでした。制球力も優れており、数々の試合で打者を圧倒しました。
また、デイは守備でも優れた能力を発揮し、内野手としても活躍しました。彼の俊敏な動きと確かな守備力はチームにとって貴重な存在でした。
デイはニグロリーグのトップチームであるニューアーク・イーグルスでプレーし、リーグのエースピッチャーとして名声を博しました。彼はオールスターゲームにも複数回選出され、その才能と貢献が認められました。
ニグロリーグでは詳細な成績が残されていないため、正確な数字を提供することは難しいですが、デイはその多才さと野球センスにより、二刀流選手としての名声を築きました。
以上、アメリカの代表的な二刀流選手のご紹介でした。
結構たくさんいましたね
でもでも、疑問になりませんか?
他にもいるなら、何故?↓
大谷選手がベーブルース以来の二刀流と言われるのは何故?
大谷選手は現代のMLBにおいて特に注目される二刀流選手ですが、ベーブ・ルース以来という表現は正確ではありません。
大谷選手は2018年にMLBデビューし、当初から投手としても野手としても活躍しています。
彼は投手として速球や多彩な変化球を駆使し、一方で打者としてもパワフルな打撃力を持っています。
その能力の高さと二刀流としての活躍により、注目を浴び、多くの人々から称賛されています。
ベーブ・ルースは1920年代から1930年代に活躍し、当時は投手としても優れた成績を残し、その後は強力な打撃力を発揮しました。
彼は史上最も有名な二刀流選手の一人とされ、その功績から現在でも二刀流の象徴として称されています。
大谷選手はベーブ・ルースと同じく投手としても打者としても優れた才能を持っているため、彼の活躍が二刀流の再評価を促し、ベーブ・ルース以来の二刀流と称されることがありますが、先ほども言ったように正確な表現ではありません。
MLBでの二刀流選手の10年毎の人数を比較!
年代別の二刀流選手の人数が分かりましたので、表にまとめました。
条件は、シーズンに10試合以上登板し、200回以上の打席をした選手です。
年代 | 二刀流選手の数 |
---|---|
1900 | 18 |
1910 | 4 |
1920 | 16 |
1930 | 2 |
1940 | 1 |
1950 | 0 |
1960 | 1 |
1970 | 0 |
1980 | 0 |
1990 | 0 |
2000 | 0 |
2010 | 1 |
2020 | 1 |
1930年以降、二刀流選手の数がとても少なく、暗黒時代に突入しているのが分かります。
そんな長く暗い時代に終止符を打ったのが大谷選手でした!
なので「ベーブルース以来」という表現が用いられるようになったのでしょう。
最後に二刀流について、2つのQ&Aにお答えします。
日本の野球でも二刀流はいる?
日本の野球界でも、二刀流として知られる選手が存在しました。
(アメリカの二刀流選手リストに載っていた方達です。)
- 景浦將(かげうらまさる): 大阪タイガースと入団契約、投手としては最優秀防御率、最高勝率をそれぞれ獲得、打者としては東京巨人軍監督の藤本定義が「アイツこそ史上最強の打者」と絶賛、フィリピンにて戦死
二刀流としての活躍期間:1936–1938 - 藤村富美男(ふじむらふみお): 初代「ミスタータイガース」、投手としては速球とカーブを駆使し的確な制球力で相手打者を翻弄、野手としても優れた打撃と守備力を持ち三塁手、一塁手、二塁手、外野手で活躍
二刀流としての活躍期間:1936–1938, 1944, 1946, 1948, 1950–1951 - 野口明(のぐちあきら): 大学時代、東京セネタースに引き抜かれ中退、投手兼捕手の中心選手に、チーム勝利の6割以上を稼ぎ最多勝利のタイトルを得る、兵役後に大洋軍復帰、アマ・プロ両方で延長戦記録達成に出場した唯一の選手
二刀流としての活躍期間:1936–1937, 1942–1943, 1948 - 西沢道夫(にしざわみちお):15歳で名古屋軍に投手として入団、公式戦出場の日本プロ野球史上最年少記録保持者、ゴールドスターに移籍し一塁手に転向、中日復帰後はスラッガーとして活躍
二刀流としての活躍期間:1937–1943, 1946–1947 - 野口二郎(のぐちじろう):野口明の実弟、東京セネタースに投手として入団、最優秀防御率のタイトルを獲得、打者としても連続試合安打記録を樹立、好記録を残したことで「鉄腕」と呼ばれる
二刀流としての活躍期間:1939–1943, 1946–1952 - 藤本英雄(ふじもとひでお):1940年代から50年代前半にかけて東京巨人軍の主力投手、人員不足の戦時中は監督と主将も兼任し史上最年少の記録、また日本プロ野球史上初の完全試合も達成している
二刀流としての活躍期間:1943–1948
1960年以降の選手はいないですね
野球以外のスポーツでも二刀流はいる?
野球以外のスポーツでも二刀流はあります。
以下にいくつかのスポーツでの二刀流選手の例を挙げます。
- アイスホッケー:一部の選手はフルバック(ディフェンスマン)として守備を担当する一方で、フォワード(攻撃選手)としてゴールを狙うことがあります。
- サッカー:守備と攻撃の両方のポジションでプレーすることがあります。
特にウィングバックやユーティリティプレーヤーは、守備と攻撃の役割を兼任することがあります。 - ラグビー:フライハーフ(スタンドオフ)として攻撃の司令塔となりながら、センター(中堅)として守備にも参加する選手がいます。
二刀流選手は稀な存在で、両方のポジションで優れた能力を持つことは困難です。
そのため、一般的には、選手は特定のポジションに特化して専門的なスキルを磨く傾向があります。
参考:Tracking the history of baseball’s two-way players
Two-way player
まとめ
MLBに大谷選手以外の二刀流はいる?日本では?他のスポーツでは?、いかがでしたでしょうか。
- 少なくとも20イニングを投げた&野手または指名打者として少なくとも20試合に出場し、各試合で少なくとも3打席以上が二刀流選手の条件
- MLBやニグロリーグで二刀流として知られている選手は複数いる
- 大谷選手がベーブ・ルース以来という表現は正確ではない
- 言われるようになったのは、1930年以降、二刀流選手の数がとても少なく、久しぶりに出たのが大谷選手だから?
- 日本でも二刀流と言われる選手はいた
- 他のスポーツでも二刀流選手はいる
でした。
昔は選手が少なくて二刀流にならざる得ない事情もありましたが、最近では一刀流でも大変なのに、二刀流はどんなに厳しいものかと思いました。
大谷選手は凄いですね!