ローザ・パークスという名前を聞いたことはあるでしょうか?
恥ずかしながら、私はアメリカに来て初めて知りました
アメリカでは小学校で習うので、誰もが知っている名前です。
ローザ・パークスは、アメリカの公民権運動の活動家です。
モントゴメリー・バス・ボイコット運動のきっかけとなった人物で、キング牧師と共に人種差別と闘い、公民権運動の母と呼ばれました。
この記事では、
- ローザ・パークス事件とは?
- どんな時代だったのか?
- ローザ・パークスさんの名言
- ローザ・パークスさんがよく分かる映画2本
をご紹介します!
ローザ・パークスさんの時代のジム・クロウ法
先ずは、ローザ・パークス事件が起きた背景を知るために、彼女が生きていた時代はどんなだったのか?を見てみましょう。
ローザ・パークスさんは、フルネームを
ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス(Rosa Louise McCauley Parks)
といいます。
1913年、アラバマ州で大工の父親と、教師の母親の間に生まれました。
配偶者は理容師のレイモンド・パークスさん。
2人は全国有色人種向上協会(NAACP)のメンバーでした。
リンカーン大統領は1863年に奴隷解放宣言をしました。
しかし黒人に対する人種差別がなくなった訳では、ありませんでした。
それどころか、1876年からはジム・クロウ法という人種隔離法が、アメリカ南部で施行されるようになりました。
ローザ・パークスさんがいたアラバマ州は、このジム・クロウ法が施行されていました。
南部の中でも人種差別の厳しいところでした。
例えば小学校時代、スクールバスは白人の子供しか乗せませんでした。
黒人の子供は歩いて通学するしかありませんでした。
私は毎日、バスが通り過ぎるのを見た。
私にとってそれは生き方だった。
その慣習を受け入れるしかなかった。
バスは、黒人の世界と白人の世界があることを初めて認識したことの一つだった。
と彼女は語っています。
近所の白人の子供達には、繰り返し虐められた日々でした。
結婚後、職を転々としていたローザさんに、夫は高校卒業を勧め、1933年に卒業しました。(この当時、アフリカ系アメリカ人で高校を卒業するのは7%未満でした。)
1943年に全国有色人種向上協会に加わり、積極的に公民権運動に参加するようになりました。
それでは、こういう時代だったということを踏まえて、大々的な公民権運動のきっかけとなった事件を詳しく見てみましょう。
ローザ・パークス事件とは
1955年、アラバマ州のモントメゴメリー。
ローザ・パークスさんはこの時、42歳。
デパートで縫製の仕事をしていました。
12月1日の木曜夕方、仕事を終えたパークスさんは、帰宅のためバスに乗りました。
この頃、バスの利用者の7割が貧しい黒人でした。
座席は前方の10席が白人専用、他の席も運転手に命じられたら譲るよう、法律で決められていました。
パークスさんはこの日、黒人席の前方に座っていました。
白人の乗客が多く、じきに白人席はいっぱいなりました。
運転手だったジェイムズ・ブレイクは、前方から一列ずつ席を白人に譲るように言いました。
座っていた3人の黒人が席を譲りましたが、1人は立ちませんでした。
それがローザ・パークスさんです。
「なぜ立たないんだ?」
厳しく問いただす運転手に、パークスさんは落ち着いて答えました。
「立つ必要を感じないからです」
「警察を呼ぶぞ!」
脅かされても、
「どうぞ、そうしてください」
こうして、彼女は逮捕されました。
そして罰金刑となりました。
後に彼女はこう語っています。
疲れていたから席を譲らなかったのだろうとよく言われますが、そうではありません。
肉体的には疲れていませんでした。
私が疲れていたのは、屈服することです。
公民権運動へ
全国有色人向上協会(NAACP)のエド・ニクソンは、彼女の逮捕を知り、バス・ボイコット運動を考えました。
そしてキング牧師に、運動のリーダー役をお願いしました。
彼のカリスマ性を見抜いていたのです。
ボイコットが決定すると、初日夜に行われる大集会で、どのくらい続けるか決定すると書いたパンフレットを作成しました。
しかし当日まで、いったいどのくらいの人が参加してくれるか不安でした。
モントゴメリーには、4万の黒人が住んでいました!
12月5日、ボイコットの始まる月曜日の朝。
キング牧師は自動車に乗り、あちこち見て回りました。
町を走るバスには、黒人は全く乗っていませんでした!!
こうしてローザ・パークスさんとキング牧師は、黒人達と共に、バス・ボイコット運動を381日間続けました。
彼らは職場や学校には、徒歩か、自家用車やタクシーに相乗りして行きました。
バスの利用者の7割が黒人だったので、バスはほとんど空っぽのまま走らせるしかありませんでした。
1956年、連邦最高裁判所は、ローザ・パークスさんが逮捕されたのは違法として、「差別停止命令」を出しました。
これが、ローザ・パークス事件、またの名をモントゴメリー・バス・ボイコット事件です。
この勝利を契機に、全米各地で公民権運動が活発になりました。
そして1964年に公民権法が成立されたのです。
ローザ・パークスさんの名言
何かのために立ち上がらなければ、あなたはそれに屈することになるでしょう。
今日の巨大な樫は、地面に根を生やした昨日の木の実です。
憎しみや偏見を持つよりも、平等と愛を教え生きる方が良い。
何年にもわたり、決心すると恐怖心が減少することを学びました。
しなければならないことを知ることで、恐れがなくなります。
簡単にバラバラになったり、反対方向に進んでしまうこともあったけれど、一歩踏み出せば、誰かがついて来てくれる、そんな気がなんとなくしました。
私は自由になりたかった人として記憶されたい。
そうすれば、他の人も自由になるでしょう。
次にローザ・パークス事件を映像で観ることのできる、映画のご紹介です。
ローザ・パークスの映画
2本あります。
『ロング ウォーク ホーム』
ウーピー・ゴールドバーグ主演。
モントゴメリー・バス・ボイコット事件のことが詳しく描かれています。
DVDがないのが残念です。
『Rosa Parks Story』
アンジェラ・バセット主演。
キング牧師を演じているのが、実の息子のデクスター・キングというビックリです。
こちらも輸入盤しかないのが残念!
まとめ
ローザ・パークスとは?バスで起きた事件、よく分かる映画も紹介、いかがでしたでしょうか。
- ローザ・パークスさんは、「公民権運動の母」と呼ばれ、キング牧師と共に人種差別と闘った。
- 1955年、アラバマ州モンゴメリーで、バスの運転手の命令に従わず、白人に席を譲らなかった。
- それで逮捕されたことをきっかけに、大規模なモンゴメリー・バス・ボイコット運動が起こり、有名となった。
- 映画も2本ある。
でした。
この事件は必ずアメリカの小学校で習います。
学校でリビングミュージアム(過去の偉人になる)というイベントがあって、娘は彼女を選びました。
そういう意味でも、忘れられないお名前です。