北朝鮮に拉致され、昏睡状態で解放されたアメリカ人大学生、オットー・ワームビアさんが亡くなったと報道がありました。
まだ22歳、前途有望な若者でした。
どうして彼は、こんな目に合わなければならなかったのでしょうか?
そこまでのことを彼はしたというのでしょうか?
調べてみると、北朝鮮の発表とは違う、彼はハメられたのだ、というのが見えてきました。
- なぜ、ワームビアさんは北朝鮮旅行へ行ったのか?
- 北朝鮮で何をしたのか?
- 北朝鮮での告白と様々な疑惑
についてご紹介します。
オットー・ワームビアさんとは
オットー・フレデリック・ワームビア(Otto Frederick Warmbier)さんは、1994年12月12日、オハイオ州シンシナティで生まれました。
2013年にワイオミング高校を卒業し、バージニア大学に進学、北朝鮮渡航時は3年生でした。
商学と経済の二種を専攻し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでも学んでいました。
かなり優秀な人だったようですね!
父親の名はフレッド、母親はシンディ、そしてシンディ、フレッドという妹と弟がいます。
北朝鮮旅行のきっかけと逮捕
父親フレッドによると、オットーは2015年末に中国を旅行している時、北朝鮮旅行を提供している会社を見つけました。
この旅行は、あなたの両親があなたに行って欲しくないと思っているものです!
といった、特に若い西洋人をターゲットにしたスローガンのツアーで、冒険心に満ちたオットーは参加を決めました。
大学生のオットーが興味を持ったのを、責めることは出来ませんね…。
でも、父親であるフレッド・ワームビア氏は、中国を拠点とするこの旅行会社、ヤングパイオニアツアーズを非難しています。
この旅行は米国市民に安全だと宣伝していたからです。
実際は、全然安全じゃなかった訳ですが。
オットーは、ヤングパイオニアツアーズが主催する5日間の年越しツアーのため、北朝鮮を訪れました。
他に10人のアメリカ市民がツアーグループに参加していました。
そして平壌の羊角島国際ホテルに滞在している間、ホテルのスタッフ専用フロアからの政治宣伝看板を盗んだ、とされています。
看板は、
金正日(キム・ジョンイル)への愛国心で強力に武装しよう!
と書かれたものでした。
しかしオットーの両親によると、この看板の話は、当局が彼を拘束するためにでっち上げたものだそうです。
オットーは、空港から出国しようとした時に拉致されました。
窃盗された証拠とされるビデオは、2016年3月18日、国営中央通信社によって発表されました。
18秒の低解像度ビデオで、ハッキリと認識できない人物が壁から看板を外し、床に置いています。
看板を外す人の顔は、分かりません。
こちらですね。
本当にわかりません!!
これ本人なんですか??↓
北朝鮮での告白と様々な疑惑
オットーが逮捕されたのは、2016年1月2日、平壌国際空港から出発する直前でした。
彼のツアーグループの他のメンバーは、全員問題なく帰国しています。
オットーは2月29日の記者会見で、北朝鮮のプロパガンダを盗んでアメリカに持ち帰ろうとしたと告白しました。
その理由は、
- 故郷のオハイオ州ワイオミングにある教会の壁に掛けるお土産として、友人の母親が希望したから
そしてその友人の母親は、
- お礼に1万ドルの中古車を提供
- もし拘束されて帰ってこなければ、慈善寄付の形で母親に20万ドルを支払う
という約束だったから。
というんですが、こんな理由で盗もうと思う人、いますかね??
しかも盗もうとした看板って、絵もない文字だけのものなんですよ。
北朝鮮の訳の分からない文字、そんなの教会に飾りたいって、絶対に思わないですよね???
しかもお礼が中古車!
でも、さすがにこれじゃ理由付けが弱いかな、と思ったのでしょう。
- 家族は「非常に財政難に苦しんでいる」ため、この申し出を受け入れた
とも語ったそうです。
いや、そういう人は子供を海外に出す費用もないと思いますが!
私はこれで、盗んだという告白はでっち上げだと確信しました、オットーは罠にハメられたのだと思います。
他にも、
- Zソサエティに加わりたかったから
とも告白しています。
もちろん父親フレッドは、この告白が強要されたもので、中古車と教会に関する話はありえないと語りました。
3月16日、北朝鮮の最高裁は国家反逆罪で、オットーに労働教化刑15年を宣告しました。
ビル・リチャードソン米国務長官が、国連事務所の北朝鮮外交官2人と会って釈放を求めた2時間後のことでした。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(アメリカ合衆国に基盤を持つ国際的な人権NGO)は、判決を暴力的だと非難しました。
米国国務省のマーク・トナー氏も、北朝鮮が米国の市民を政治目的で逮捕したのは明らかだと述べました。
しかし父親フレッドによると、オバマ政権は夫婦に騒がないようにと伝えてきたそうです。
アメリカと北朝鮮の交渉に息子が必要だったのだろうと、彼は後に語っています。
オバマ大統領…これは非常に残念です。
もっと早くに対応していたら、彼は生きていたかも知れません。
解放と昏睡状態、そして死
2017年6月12日、アメリカ国務長官レックス・ティラーソンは、北朝鮮がオットーを解放したと発表しました。
オットーは裁判の後、ボツリヌス症に罹患し、睡眠薬を与えられた後に昏睡状態になったと北朝鮮当局は語りました。
緊急に医師の診察を受ける必要があり、オットーはアメリカの病院に送られました。
新千歳空港からテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港を経由し、シンシナティミュニシパル空港へ。
2017年6月13日、現地時間午後10時20分少し前にオットーは到着しました。
シンシナティ大学医療センターでは、医師が昏睡を引き起こした原因と回復可能な脳機能の徴候があるかどうかを判断しようとしました。
彼の到着に先立ち、シンシナティ保健局の医師はオットーの事件について議論し、実際に治療にあたり、
- 植物状態で目は開くが言葉を発することはできないこと
- ボツリヌス菌の中毒症状が見られないこと
- 脳の大部分の細胞が損傷していること
- 呼吸停止によって脳が酸素不足による起こる典型的な症状であること
から、ボツリヌス中毒や睡眠薬が昏睡を引き起こしたという主張に懐疑的な姿勢を表明しました。
父親フレッドは、北朝鮮が故意に息子を「昏睡状態にした」と考えています。
6月15日、シンシナティメディカルセンターの医師は、頭部外傷や身体的虐待の兆候はないと述べました。
オットーは、反応のない覚醒状態で、自分で呼吸をし、瞬きもするが、刺激には反応しませんでした。
脳組織の広範囲に損傷があることは明らかでした。
6月19日、オットー・ワームビアは家族に見守られ、息を引き取りました。
家族は、悲しみを表明し、病院のスタッフに感謝し、北朝鮮当局の行動を非難する声明を発表しました。
まとめ
ワームビアさんは何をした?旅行のきっかけと様々な疑惑、いかがでしたでしょうか。
- オットー・ワームビアさんはバージニア大学の3年生
- 旅行のきっかけは、中国旅行で見た北朝鮮旅行の宣伝
- 5日間の年越しツアー参加で、帰る直前、空港で拘束された
- 前日、ホテルでスタッフ専用フロアから戦時宣伝看板を盗んだ罪で労働教化刑15年
- しかし証拠ビデオや理由を聞くとでっち上げとしか思えない
- 17ヶ月後に昏睡状態で釈放されるが、反応のない覚醒状態
- 6月19日に家族に見守られ息を引き取る
でした。
最初にちょっと話を聞いた時は、莫迦な学生がふざけて看板を盗んだのかな?と思っていました。
でも調べてみると、ちょっと違うぞと。
彼がもし間違ったことをしていたとしたら、それは北朝鮮に行こうと思った、それだけだと思います。
それはここまでの罰を与えられることでしょうか?
絶対に違いますよね。
拉致被害に遭っている日本人なら分かる。
北朝鮮、本当に恐ろしい、近寄っちゃいけない国です。
オットー・ワームビアさんのご冥福をお祈りします。