秋から冬に変わる時期にあるイベントと言えば、ハロウィン!
仮装をしてのハロウィンイベントは、日本でもすっかりお馴染みとなりました。
トリックオアトリートではお菓子を貰えて、子供達も大喜び!
でもハロウィンって、本当はどんなお祭りなの?
アメリカと日本では、ハロウィンのお祝いの仕方がかなり違います。
ハロウィンの歴史を探ると、文化の違いも見えてきます。
この記事では、
- ハロウィンはいったい何のお祭り?
- ジャック・オ・ランタンって何モノ?
- 何故、カボチャ??
- アメリカが今のスタイルを作った?
- 日本でいつ、どのようにハロウィンは広まったの?
- 世界のハロウィンの様子は?
そんな色々な疑問にズバリ!お答えいたします。
ハロウィンの起源は古代ケルト祭!
ハロウィンの起源は、サウィンという古代ケルトのお祭にまでさかのぼります。
ケルト人は、2000年前、今のアイルランド、イギリス、フランス北部のあたりに住んでいました。
彼らは新年の始まりは11月1日と定めていたそうです。
何故、こんな半端な日に??
実はケルト人にとって、11月1日は夏の終わりと暗く寒い冬の始まりを意味する日。
また彼らは、新年の前夜である10月31日に、生者と死者の世界の境界がぼやけると信じていました。
今でいうお盆に近い感じでしょうか?
そのため、31日に死者の霊が地上に戻ると信じられていたサウィン祭を祝ったのです。
だから、ハロウィンは毎年10月31日なのですね。
サウィン祭は、どんなお祭りだったのでしょう?
ケルトの司祭たち(ドルイドと呼ばれました)が、巨大なかがり火を焚くのがお祭りのいちばん盛り上がるシーンです。
その火で人々が作物や動物を焼いて、ケルト神々への犠牲として捧げました。
祭りが終わると、人々はこの聖なるかがり火から炎を分けてもらい、その晩早くに消した自宅の炉床に火を入れました。
これから来る冬の間、聖なる炎が人々を守ってくれるという意味があったそうです。
次は、ハロウィンという言葉はどこから来たのか?です。
考えてみると、変な言葉ですよね、Halloweenって。
ハロウィンの由来・語源はキリスト教から
ハロウィンという言葉はキリスト教起源のものです。
「ハロウィン(Hallowe’en)」は、「神聖な夜(hallowed evening)」「聖なる夜(holy evening)」を意味します。
これはスコットランドの「All Hallows Eve(諸聖人の日の前の夕方)」という言葉から来ています。
時が経つにつれ、(All) Hallow(s) E(v)en が Hallowe’en に進化しました。
語源はキリスト教だったのですね。
でも、実はハロウィンとキリスト教は関係が無いってご存知ですか?
ハロウィンはキリスト教と関係が無い?
語源はキリスト教からですが、聖書にはハロウィンについて書かれていません。
全く関係のない、ただの民間行事と考えるのが正解です。
アメリカでは、ハロウィンは小学校の年間行事に組み込まれているくらい一般に馴染んだイベントです。
先生も生徒も仮装をして(怖い系はNG)、校内をパレードして楽しみます。
もちろん、宗教的な意味はありません。
ただクリスチャンの間では、やはり賛否両論あるようです。
悪魔が崇拝される異教徒の祝日だからと、拒絶するクリスチャンは今でもたくさんいます。
一方で、多くの教会が、ハロウィンを非宗教的な秋の祭典に置き換えています。
ハロウィンは、子供達がドレスアップし、たくさんのお菓子をトリック・オア・トリートで手に入れて、楽しい時間を過ごす無害なイベント、という訳です。
ファミリーフレンドリーで、楽しいトリック・オア・トリート。
こちらの起源も気になってきましたね?キリスト教が関係ないとなると??
トリック・オア・トリートの手本となったのは?
お菓子を求めて家々を巡るトリック・オア・トリートメントは、アメリカや他の国で人気のあるハロウィンの伝統で、100年以上もの間行われています。
しかしこの地域社会に根ざした儀式の起源は、はっきりと分かっていません。
しかし現代のトリック・オア・トリートメントの先駆けとなったと思われるものが3つあります。
- 古代ケルトの祭り
- 中世の慣習
- ローマカトリック初期の祝日
1つずつ説明します。
1 古代ケルトの祭り
ハロウィンの起源は古代ケルトのお祭、サウィン祭だったというのはお話しましたね。
そのサウィン祭の間、村人たちは動物の皮から作られた衣装で自分たちを偽装し、幽霊の訪問者を追い払いました。
また宴会用のテーブルが用意され、歓迎されない霊をなだめるためのお供え物が置かれたそうです。
ハロウィンのトリック・オア・トリートメントとちょっと似ていますね?
2 中世の習慣
数世紀後、人々は、幽霊、悪魔など悪意のある生き物の仮装をして道化を演じることで、食べ物と飲み物を得るようになりました。
この習慣は、中世にまでさかのぼり、トリック・オア・トリートメントの先例であると考えられています。
3 ローマカトリック初期の祝日
9世紀、キリスト教はケルトの土地に広がり、少しずつ古代異教の儀式と混ざり合い、取って代わっていきました。
西暦1000年、教会は11月2日を「All Soul’s Day(死者の日)」と命名しました。
死者を敬い、祈りを捧げる日です。
イギリスのお祝いの仕方は、ケルトのサウィン祭と似ていて、かがり火と仮装をします。
貧しい人々は裕福な家族の家を訪れ、魂のケーキと呼ばれるお菓子を受け取り、お返しに、その家の亡くなった親戚の魂のために祈る約束をします。
ソウリング(souling)として知られるこの習慣は、後に子供たちが行うようになりました。
子供たちは、食べ物やお金などの贈り物を求めて、ドアからドアを巡るようになります。
これもハロウィンのトリック・オア・トリートメントとかなり似ています。
長い時間を掛けて、今のトリック・オア・トリートメントへと変わっていったのがうかがわれます。
ハロウィンに欠かせないものがもう一つ、そう、ジャック・オー・ランタンです。
カボチャをくり抜いて作るお化けカボチャちょうちんは、どこから来たのでしょう?
ジャック・オー・ランタンの由来は怖かった!
ジャック・オー・ランタン、この習慣はアイルランドの神話から生まれたものです。
『スティンジー・ジャック(Stingy Jack)』という愛称の男の神話です。
スティンジーは「ケチ」という意味があります。
この神話には諸説ありますが、だいたいのお話はこんな感じです。
スティンジー・ジャックが酒場で呑んだくれていると、悪魔に会いました。
飲みすぎて酒代の払えなくなっていたジャックは、コインに姿を変えるように悪魔に頼みました。
引き換えに魂を貰う約束で悪魔が姿を変えると、ジャックは銀の十字架で悪魔が元に戻れないようにしました。
そして10年間、ジャックの魂を取らない約束をさせ悪魔を解放しました。
10年経ち、悪魔がジャックの魂を取りに現れました。ジャックは最期のお願いと、木になっているリンゴを頼むと、悪魔は木に登りました。
すかさずジャックは幹に十字架の印を刻み、悪魔が降りられないようにしました。
そして二度と魂を取らない約束をさせ悪魔を解放しました。
やがて寿命が来て、ジャックは死にました。
天国では、生前の悪行がたたり、受け入れてもらえませんでした。
仕方なく地獄へ行きますが、ここでも悪魔との約束から入れてもらえません。
ジャックは天国にも地獄にも、もちろん現世に戻ることもできなくなってしまいました。
暗く冷たい闇の中、ジャックは、くり抜いたカブの中に燃えた石炭を入れ、ランタン代わりにしました。
そして今も生者と死者の世界をさまよっているのです。
悪魔、簡単に騙されすぎです。
いろいろなパターンがありますが、
悪魔が2回騙されて、十字架で拘束されて、魂を取らないと約束させられる。
ジャックは天国にも地獄にも行けず、ランタンを手に永遠に彷徨い続けるというのが基本です。
悪魔はしっかりと約束を守るんですね、人間より偉いかも。
アイルランドでは、今でもジャック・オー・ランタンをカブで作るそうです。
wikimediaに写真がありました、こちらです↓
ミイラみたいで、ちょっと怖いですね。
カボチャで作るようになったのは、アメリカに移民したアイルランド人が、アメリカにはカボチャがたくさんあったから、だそうです。
カブの写真を見たら、カボチャになって良かった!と心から思いました。
色もオレンジで可愛いですしね^^
さて、こうして始まったハロウィンのイベント。
実は今のスタイルを作ったのは、アメリカでした。
現在のスタイルのハロウィンはアメリカで定着した
ハロウィンは、アメリカにある様々な文化に由来する宗教、伝統、儀式などが混ざり合って出来ています。
アメリカで今のハロウィンがどうやって生まれたのか、見てみましょう。
ヨーロッパから渡ってきた移民たちは、アメリカに自分たちの習慣と儀式を持ち込みました。
しかし北部の植民地の歴史には、ハロウィンの記述はほとんどありません。
プロテスタントが幅を利かせていて、彼らの厳格な宗教的信念が邪魔をしたのだろうと言われています。
一方、南部の植民地は北部より広く、ヨーロッパの地域社会が北部よりも混じり合って安定していました。
そのためネイティブアメリカンの収穫祭と合わせて、ハロウィンのお祝いがされたと書かれています。
1800年代半ば、約200万のアイルランド移民たちは、ハロウィンをもっと幅広く祝える形に作り変えました。
花火、ゲーム、怪談話、イタズラでお祝いするようになったのは、この頃です。
- 桶に水を張っていくつかのリンゴを浮かべ、口だけで掴み取るボビング・フォー・アップル(bobbing for apples)
- お皿を使って運勢を占うプーチイーニ(Puicini)
若い女性は、暗い部屋に座って鏡を見つめると、将来の夫の顔が見えるという話に夢中になりました。
もし骸骨が見えたら、結婚前に亡くなる運命だという、一種の怪談です。
イタズラのほとんどは、かつて信じられていた霊ではなく、子供たちの仕業でした。
1900年になると、宗教的なものから、自治体での祭りへと変化しました。
パーティも開催され、カラフルな仮装でお祝いしました。
ヨーロッパの伝統である恐ろしく、迷信的な側面は減っていき、陽気なお祭りへと変わっていきました。
1920〜30年代、ハロウィンでのイタズラが大きな問題となりました。
イタズラが破壊行為、暴行へと変化したのです。
若者やKKKの組織が、ハロウィンを口実に犯罪行為を行いました。
学校や自治体は、トリックオアトリートを奨励することで破壊行為を抑えようとしました。
ボーイスカウトは子供たちが安全に参加できるイベントをサポートしました。
トリックオアトリートに参加する子供が増えるに連れ、30年代後半には破壊行為は減少していきました。
初めて公式にハロウィンのお祝いをしたのは、ミネソタ州のアノーカです。
アメリカのハロウィン発祥の地、「世界のハロウィンの首都(Halloween Capital of the World)」と呼ばれています。
ここでも目的は、若者のエスカレートしたイタズラを辞めさせるためでしたが、1920年に、アメリカ初のハロウィン・パレードを開催しました。
数週間かかって衣装を作り、パレードに参加した子供たちにはポップコーンやキャンディが振る舞われました。
町の広場ではかがり火も焚かれました。
イベントは年々大きくなり、1942年と43年を除いて毎年行われていましたが、第二次世界大戦で中止されました。
現在は、パレード、カーニバル、コスチュームコンテスト、ハウスデコレーションなど、自治体によるハロウィン・フェスティバルが復活し、行われています。
アメリカのハロウィン人気は、年を追う毎に高まっています。
過激な宗教団体などがハロウィンを悪と結び付け、イメージを傷つけて潰そうとしましたが、失敗しました。
一部の人は、ハロウィンが企業やメディアの影響を受けすぎたため、本来の意味を失っていると主張します。
しかし人々が安全で楽しいやり方でハロウィンをお祝いする限り、アメリカでのハロウィンはこれからも続いていくでしょう。
参考:A Brief History of Halloween in America
では我が国、日本はどうでしょうか?
ハロウィンが日本に普及したのはいつ?
ハロウィンが日本に定着したのは、
- きっかけはキディランド
- 認知度を上げたディズニー
- SNSで加速した渋谷・スクランブル交差点
の、3つが大きいです。
1つずつ見ていきます。
きっかけはキディランド
ハロウィンが日本に広まるきっかけを作ったのは、
1983年、キディランド原宿が企画した日本初のハロウィン・パレードです。
キディランドとは?
1946年に橋立孝一郎が現在の秩父市に創業した「読書クラブ橋立書店」がその発祥である。4年後の1950年に、表参道に橋立書店を出店、周辺に居住していた外国人向けの雑貨・玩具などを取り扱うようになる。
1966年に表参道に地上6階・地下2階建ての本店ビルを建設、また同時期に全国に店舗を出店した。しかし、急な拡大策によって経営が悪化し、創業者の橋立は社長を退任。後に現在のタカラトミーの傘下となった。
キデイランド – Wikipedia
1970年代からハロウィン・グッズに力を入れていたキディランド原宿。
もっとハロウィンを広めたいと、一般の人へのパレード参加を求めました。
当日は、100名ほどの人達が参加し、歩行者天国の表参道をパレードしました。
まだ知名度がなかったため、参加者には外国人が多かったのですが、注目度は高く、参加者も年々増えていきました。
今では1000〜2000人が参加するお子さん向けの地域イベントに成長しました。
地元の商店街が主催し、キディランドは協賛参加しています。
原宿から始まったハロウィンパレードですが、日本で一番大きなパレードはどこでしょう?
日本最大のハロウィンパレードは?
1997年から始まった、カワサキ・ハロウィン・パレードが日本最大です!
2018年のグランプリ、さすがですね!
1997年、まだ日本に「ハロウィン」がほとんど馴染みのなかった頃、川崎の街の元気と魅力を全国に向け発信することを目的に、地元のエンターテイメント企業“チッタ”が立ち上げました。 初開催時のパレード参加者は約150人、沿道の観客は約500人。回を重ねるごとに規模を拡大し、2016年度にはパレード参加者数約2,600人、沿道の観客は約12万人までに成長。
カワサキ ハロウィン 2019 – LA CITTADELLA
今では企業、川崎駅周辺の商業施設、商店街、行政、団体が一体となって開催する日本最大級のハロウィンイベントとなりました。
カワサキ ハロウィンでは、パレードの他にも、川崎駅周辺の商業施設、商店街が参加し、数多くの企画が行われています。
期間限定のスペシャルメニューや、サービスもあるそうですよ!
さて、同じ1997年に始まったハロウィンイベントが、もう一つあります。
認知度を上げたディズニー
1997年から東京ディズニーランドで、2008年から東京ディズニーシーで、
ディズニー・ハロウィンが開催されるようになり、ハロウィンはさらに広く知られるようになりました。
1997年に始まった東京ディズニーランドでハロウィンイベントは、同年に初開催された川崎市の仮装パレードと共に日本のハロウィンブームの先駆けと言える。
『ディズニー・ハロウィーン』がスタートした1997年から1999年まではイベントのタイトルが『ディズニー・ハッピー・ハロウィーン』となっており、開催も10月31日のみだった。また、本格的に「クリスマス・ファンタジー」のようなスペシャルイベントとなったのは2000年代に入ってからで、それまではゲストとキャストがパレードルートを歩くといった程度の規模であった。そこから年を重ねるにつれイベントの規模が拡大しており、現在では9月初旬から始まる、東京ディズニーリゾートの代表的なスペシャルイベントの一つとなっている。
ディズニー・ハロウィーン – Wikipedia
最初は10月31日の1日だけだったディズニー・ハロウィン。
開催から3年後には1か月と期間が延び、2019年は52日間!
また最初は無かったパレードも行われるようになり、今ではゲストもキャラクターの全身仮装姿で入園できるようになりました。
最近のハロウィンでよく話題になる場所があります、そう、あそこです。
SNSで加速した渋谷・スクランブル交差点
渋谷でのハロウィンが本格的になったのは、2010年〜2011年くらいと言われています。
特に主催者のいるイベントがあった訳ではなく、何となく仮装する人達が集まるようになり、今や参加者は100万人超え!
10代から20代の若者が中心です。
本来、ハロウィンは子供のイベントなので、大人が中心の日本は独自のハロウィン文化になっていると言えるでしょう。
海外では日本の象徴のように言われているスクランブル交差点での盛り上がりに、ニュースでも頻繁に取り上げられ、参加者がSNSで拡散することから、一気に広まり、定着したようです。
2018年のハロウィン、渋谷での様子です↓
実際に渋谷を歩いているような映像で、一気に人が溢れる様子が圧巻です。
(長いので、適当に飛ばして見ることを推奨いたします^^;)
さて、この渋谷ハロウィン、参加人数増加に伴い、
酔っ払って喧嘩をしたり、物を壊す、ゴミを道に捨てるなど、色々と問題も起きています。
アメリカにも一時期あった、過剰なイタズラを思い出しますね。
日本でも皆が楽しめる、気持ちのいいイベントであって欲しいと思います。
最後に、世界ではどんな風にこの日を過ごしているのか?をお送りします。
世界で行われているハロウィン
各国のハロウィンの様子をご紹介します。
アメリカ
移民から伝わり、今のハロウィンの形を作ったアメリカは、ハロウィンの本場と言われています。
パレードで有名なのは、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジで行われるビレッジ・ハロウィン・パレード。
仮装をしていれば、誰でも参加できる楽しいイベントです。
南カリフォルニア最大のハロウィンフェスティバルは、トウモロコシ畑に作られた迷路、干草用荷馬車での散歩、パンプキンパッチで盛り上がります。
ニューオリンズでは、幽霊や吸血鬼、ブードゥー教に関したゴーストツアーが人気です。
マサチューセッツ州セーラムは、魔女狩りの町として有名な場所。
ここでは10月の間ずっと、毎週末ハロウィン・イベントが行われています。
デラウェア州リホーボス・ビーチでは、巨大カボチャの重さを当てたり、カボチャの種を飛ばすコンテストが行われます。
アメリカでのハロウィンの様子↓
参考:10 great Halloween celebrations in the U.S.
アイルランド
アイルランドは、ハロウィン発祥の地です。
サウィン祭のようにかがり火が焚かれ、花火が上がる町もあります。
子供たちは仮装をして、トリックオアトリートを行います。
イタリア
子供たちは仮装をして、家族でハロウィンパーティに出かけます。
大人が仮装することはなく、トリックオアトリートもありません。
11月1日の諸聖人の日がお休みで、聖人や殉教者に祈りを捧げます。
また2日、死者の日は白い菊の花を添えて、亡くなった方に祈りを捧げます。
イタリアのハロウィンは、日本のお盆に近い感じです。
フランス
イタリアと同じく、諸聖人の日と死者の日が行われます。
ハロウィン当日は、仮装してお店へ行くとキャンディが貰えます。
またトリックオアトリートならぬ、キャンディハントも行われています。
(アメリカのハロウィン文化が逆輸入しています。)
仮装はお化けや魔女などの怖い系だけ、大人も仮装しますが、外で騒ぐことはありません。
本来、ハロウィンの仮装は怖い物なので、フランスは正しい仮装文化を継いでいます。
アメリカではプリンセスなどの可愛い系が増え、仮装というよりコスプレになっています。
日本とアメリカは、仮装については似ていますね。
ドイツ
イタリア・フランスと同じく、諸聖人の日と死者の日が行われます。
ハロウィン当日は、アメリカのハロウィン文化の影響で、仮装してパーティをしたり、トリックオアトリートをする人たちも増えてきました。
11月11日の聖マルティネスの日には、マルティンスターグというイベントがあります。
カボチャを飾り、火を灯したランタンを手に子供たちが行進します。
行進の後はお菓子が振る舞われます。
アフリカ
アフリカ大陸には、ほとんどハロウィン文化は根付いていません。
しかし小学校などのイベントとして、仮装をしたり、パーティをして楽しむ地域もあります。
南アメリカ
北アメリカとは打って変わり、ハロウィンはほとんど浸透していません。
特にブラジルでは、ハロウィン=アメリカ文化と考える人たちによって、自国の文化を大切にしようとの働きかけもあります。
サンパウロ州では2004年に、10月31日をハロウィンではなく、サッシ・ペレレの日に制定しました。
(サッシ・ペレレはブラジルの文化を代表するキャラクターです。)
中国
北京や上海などの大都市でハロウィンイベントが行われています。
中心となっているのは、中流以上の家庭の子供たちと、若者です。
仮装をしてトリックオアトリート、パーティを楽しんでいます。
フランスと同じく、仮装は怖い系です。
ハロウィンというアメリカ文化をすんなり受け入れている国、まだ浸透していない国、徐々にアメリカナイズされている国と、様々ですね^^
まとめ
ハロウィンの歴史を徹底解剖!日本で広まるまでを全部知っちゃおう、いかがでしたでしょうか。
- ハロウィンの起源は古代ケルトのサウィン祭、11月1日が新年で、10月31日は死者の霊が地上に戻ると信じられていた
- 語源はキリスト教の「All Hallows Eve」が進化したもの、でもイベント自体はキリスト教とは関係なし
- トリック・オア・トリートの起源ははっきりしていない
- しかしサウィン祭やローマ・カトリック初期の祝日、中世の習慣に似たものがある
- ジャック・オー・ランタンはアイルランドの神話から来ている
- 元はカブだったが、アメリカにカボチャが豊富だったので、カボチャとなった
- 現在のハロウィンのスタイルはアメリカで定着した
- 宗教的なものから、楽しいお祭りへ
- 1920〜30年代には過激なイタズラが問題になったが、トリックオアトリートやパレードなどをすることで減少させた
- 日本にハロウィンが普及したのは、1983年のキディランド原宿が企画した、日本初のハロウィン・パレードがきっかけ
- 1977年には東京ディズニーランドでもハロウィンイベントが開催されるようになり、認知度を上げた
- 渋谷でのハロウィンが本格化したのは2010年くらい、SNSが大きく貢献し、一気に広まった
- 世界のハロウィンは、ヨーロッパでは日本のお盆に近く、アフリカや南アメリカはまだ浸透していない
- 一方、中国は日本と似た感じで一部地域に定着している
でした。
アメリカに来てからは、ハロウィンは子供が小学生の時までは熱心にやっていました。
特に小さい時は、カボチャ狩り(パンプキン・パッチ)に行ったり、楽しかったですねー。
ジャック・オー・ランタンも、一度だけ作ったことがあります。
スーパーに手作りキットが売られているので、割と簡単に作れたりします。
でも一つ落とし穴がありまして…作って数日で、中が真っ白にカビまして…(TT)(TT)(TT)
もう、もう、ホラーでしたよ、ハロウィンだけに?
後で知ったのですが、カビ防止のために作業が必要だったのですね。
まあ、今となっては、それもいい思い出です<本当に? 二度と作りませんが(笑)
それでは、どうぞ皆さま、
(」゚□゚)」<ハッピー・ハロウィーン!!