第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、1863年1月1日に奴隷解放宣言を実施しました。
リンカーンは人種差別が嫌いで、黒人への差別をなくすために奴隷解放宣言をしたのだろうな…。
そう思ったら、大間違い!
リンカーンの目的は、別にありました。
実は南北戦争で北部が勝つためだったのです。
- 南北戦争とは?
- 奴隷解放宣言から見えてくることは?
- 奴隷解放宣言の狙いは?
順を追って、分かりやすく説明していきます。
まずは南北戦争ってどんな戦争か?を見ていきます。
南北戦争とは
文字通り、アメリカが南と北に分かれて戦った戦争が南北戦争です。
1861年1月、リンカーンは黒人奴隷制拡大に反対を掲げて大統領に当選しました。
同年2月、南部の11州がこれに反発し、連合軍を結成。
4月、北部23州(中立を含む)と戦争になりました。
これが南北戦争です。
中立(奴隷州)
南北の境となった5州
- デラウェア
- メリーランド
- ケンタッキー
- ミズーリ
- ウェストヴァージニア
ここで注目するところは、同じ奴隷州でも、中立で北部の味方になったところがあったところです!
では次に、奴隷解放宣言の文を見てみましょう。
奴隷解放宣言全文から見えてくるもの
奴隷解放宣言の文は、アメリカンセンターJAPANで英文と日本語の両方を見ることができます。
重要な部分を引用します。
西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされているすべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。
んん?
合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州
反逆状態、つまり戦争状態にある州ということです。
そしてご丁寧に、そのあとにどこの州か書いてあります。
見やすいように一列に並べますね。
- アーカンソー
- テキサス
- ルイジアナ
(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く) - ミシシッピ
- アラバマ
- フロリダ
- ジョージア
- サウスカロライナ
- ノースカロライナ
- バージニア
(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)
分かりましたか?
見事に、南部(奴隷州)の11州と一致しています!
ただ1つ、テネシー州だけが抜けていますが、この時、既に制圧されていたため記載されなかったのでした。
本当に奴隷を解放するためだったら、奴隷州である中立の5州も対象にするべきですよね。
でも既に味方だったから、そんなことをして怒らせることはしたくなかったのです。
奴隷制を認めている州だったのに。
この奴隷解放宣言が、奴隷のためではなく、南北戦争のためだったのが、よく分かります。
では、何故こうすることで、北軍が有利になるのでしょうか。
奴隷解放宣言の狙いとは?
実はこの頃の経済状態は、南と北で全く違うものでした。
貿易相手はイギリスです。
イギリスは高い工業技術を持っていて、好んで南部から綿花を輸入し、衣類を生産していました。
だって南部の綿花は安いですからね。
北部はそれを好ましく思っていませんでしたが、技術力が乏しいのは仕方ありません。
南部はイギリスを味方につけたいと思っていました。
しかし奴隷解放宣言が出されたことで、イギリスはそれが出来なくなりました。
イギリスは30年前の1833年に奴隷制度が廃止され、ここで南部の味方をしたら、世界を敵に回すことになるからです。
北部からすれば、
- イギリスが南部を支援することを阻止し、
- 奴隷を使えないことで綿花の価格が上がるという、
まさに一石二鳥を狙った案だったのです。
リンカーンは奴隷制拡大反対で大統領になりましたが、奴隷解放論者ではありませんでした。
彼の奴隷解放宣言の目的はアメリカ合衆国の勝利、ただそれだけだったのです。
南北戦争が北部の勝利で集結した5日後、1865年にリンカーンは暗殺されました。
同じ年に、奴隷解放宣言は憲法修正第13条で確定し、奴隷達は解放されました。
そして奴隷から解放された黒人達には、深刻な差別問題が残されたままでした。
まとめ
奴隷解放宣言の狙い!全文から見えた南北戦争での目的とは?、いかがでしたでしょうか。
- 奴隷解放宣言は、奴隷のためではなく、南北戦争のためだった
- 奴隷解放宣言の目的は、アメリカ合衆国の勝利、ただそれだけだった
もしこの奴隷解放宣言がなく、南部が勝利していたら、今のアメリカはどうなっていたのでしょうね?
そう考えると、リンカーン大統領は非常に頭のいい人だったのだなと思います。